新任・白鷺青年部部長挨拶☆

このたび白鷺連合会青年部の部長に就任しました、成秋会の藤山澄玄です。

師の米田秋澄先生の教室の門を敲いたのが6年半ほど前でした。当時、白鷺青年部では第50回大会の舞台づくりが着々と進められていました。米田先生から「群舞に参加してくれへん?」とお声がけいただき、右も左もわからないままに玉川コミュニティセンターへ伺った私を、青年部のみなさまやOB・OGの先生方がとても優しくお迎えくださったことを思い出すと、今でも心があたたかくなります。

第50回大会は盛大で、構成吟の舞台ではご年齢を問わずみなさま輝いておられ、憧れの気持ちを抱くとともに、みんなで創り上げることの素晴らしさに学校制度の外ではじめて触れた機会でした。

以降は役員会にも出席しており、当初は仕事にも一人暮らしにもそれほど慣れない頃で、白鷺青年部にも総本部青年部にも同時に関わり続けることに戸惑いもありましたが、教室だけの世界でなく、歳の近い人を含め、いろいろな人と詩吟を介して出会うことができ、青年部に楽しんで参加する中で、やりたいと思えることが出てきたり、詩吟そのものについて考えるきっかけを得たりしました。

また、私生活で挫折を感じたり、居住を転々とした時も、白鷺青年部を心の拠り所と感じてずいぶんと救われました。実際には、会議に出席できていない時期もあり、ご迷惑をおかけした中で、6年間白鷺青年部を守り続けてくださった中岡蒼狼声部長に対しては、言い尽くせない感謝と尊敬の念があると同時に、あまりに多くのご負担をおかけしてきた負い目を感じてもおります(それは私が東京や丹波に漂泊していた時期に総本部青年部を担ってくださった安田行軌部長に対しても同様です)。

みんながみんなのために、それは白鷺青年部の美徳ではありますが、できるだけ、義理のためではなく自分のために来てもらえる場所を作りたい、それが私の悲願です。まずは来て良かったと思える会議をつくり、集ってくれる人たちが心からやりたいと思えることを活動にしていく道筋を、まだ漠然とですが思い描いています。

新卒の頃に詩吟を始め、そんなこんなで今年は30歳になります。「いま部長に就任したら先が長いんじゃない?」ということをちらほら聞きましたが、むしろ長く続けば御の字だと思っています。それは、いま青年部に不可欠な50代のメンバーたちが、そのうち卒業という年齢になる時期は見えているからです。そもそも年齢にかかわらず、吟界において青年部よりももっと大きな枠で活躍している/すべき方々を、青年部に引き留めているという実情もあると認識しています。そして、ただこれまでと同じことを続けていれば、青年部の存続そのものが危うくなるという感覚があります。

「青年部」といえる世代が少ないのに無理をして、白鷺連合会の単位で青年部を維持しなくても良いのでは? という疑問も一理あるかもしれません。自問もしてみて、私は白鷺青年部の伝統といった観点から答えることは未だできませんが、それでも白鷺青年部の灯を継いでいきたいという自身の気持ちの大きさに気づきました。

正直なところ私は詩吟がすごく上手くなりたいとか、コンクールで入賞したいとかいった情熱がありません。それでも詩吟を楽しく続けているのは、師の米田先生のお人柄を慕うからでもあり、また青年部の仲間と顔を合わせる場があり、一緒につくる舞台があるからです。万人にとってそうではないと思います。でも私にとっては大切なつながりで居場所であり、まだ参加していない誰かにとってもそうなり得ると信じています。

それぞれのメンバーが参加する度合いは様々だと理解しています。先日の総会の際、白鷺連合会の上の先生方がいかに諸役員や会員の方々をよくご覧になり気遣っていらっしゃるかということにも感銘を受けましたが、やはり先生方ご自身がお忙しいからでもあるのだろうと感じました。多忙な中でも心を寄せ続けるのは何故なのでしょうか。詩吟が、吟友が、大切だから、でしょうか。他にもあるかもしれませんが、同じ思いを共有する人が増えれば、他の何かを犠牲にせずにそれらの大切なものを守っていくことがより容易くなるでしょう。

自分がそのように迎えていただいたように、多忙で多難な青中壮年世代だからこそ、「おかえり」「いらっしゃい」と扉を開けて誰かを待っているホームを絶やしたくないと思います。「若いね」と言われるでしょうか。どうかお知恵とお力をお貸しいただきたくお願い申し上げます。

経験的な未熟さからしても能力的な不足からしても、青年部長としての務めに至らぬところが多々あろうことは必至ですが、いつものように精一杯努める所存です。どうぞよろしくお願いいたします。

以上